意識無意識 そして 生きる姿勢一つの心     ! もくじ へ
 
   『 無意識 』 について どう お考えでしょうか
 
   もしも この単語の意味を 伝聞程度でしか 知らないのであれば
  心理学の入門書を 2冊くらい 読んだ方が良いかも知れません
   心について そして 心を知るための方法について 意外な事や 思いつかない事を
   知って とても 勉強になるはずです
  意外であり 思いつかない
  だからこそ この『 無意識 』の発見は フロイトさんの偉大な功績なのです
   しかし 絶好調の人には必要ないのかも知れません
   何もしない時に たばこも吸わず テレビも点けずに 静かに 穏やかに じっと
   やすらいで 居られる人には そんな勉強は必要ない のかも知れません
 
   一般的には
  この無意識は 何か悪さをする 得体の知れない悪いもの という印象もあると思います
  多くの場合
  うわべの自分にとって 都合の悪い気持ちや
  見たくない気持ち 考えたくない気持ち が無意識になる様です
  心痛を解決するためには 無意識は敵だ 無意識が無ければいいのに
  と思う人も居ると思います
 
  しかし その考え方は 片手落ちです
  無意識は 味方にも なります
    わたしは この考え方を 証明する気はありません
   以下の文を 参考意見として お読みください
   ・・かも知れない ・・のはずだ などの謙虚な言い方を はぶきます お許しください
  無意識は 味方になります 面白いやつです
  無意識と 仲良しになって 一緒に手をつないで 生きて行く
  ことが 出来るのです
  しかし そのためには 無意識さんにも 応援してもらえる 生き方をしないと いけません
  ささやかな暮らしでも ドジな生き方でも 納得できる生き方を する必要があります
  さらに 心を より深く より広く 理解する必要も あります
  精神統一も必要です
  静かな所で 何もしないで 穏やかな気持ちで 心のすべてを 受け止めて じっとする
  中途半端な気持ちで くだらない事をするより は 何もしない方が良い のですけど
  この 何もしない というのも 意外と難しい事です
  この 無意識と仲良くして 大きな一つの心になるためには
  少しずつ良くしようとする 生きる姿勢が 必要だと思います
  一朝一夕で変われるものでは ありません
  良くしようとしても 全く進展が無い状態 熱意を抱いたまま もがいている状態
  の 日々が 数ヶ月以上つづく場合が 多いと思います
  その姿勢のまま 固まっている様に 見えると思います
  でも 一年 二年 いつの間にか 自分が 良い方へ変わった育った
  と 感じる時が 来ると思います
  だから 生きる姿勢 良い方へ変化しよう とする姿勢が 大事なんだと思います
 
   さて 解りやすく するために 極論を述べます
  例えば
  10年間 毎日 何かの遊びを 10時間している人が居るとします たまには儲かるとしても
  借金が増えて 家族からも借りたり くすねたりして遊興費を作り 浪費しているとします
  当然 自己嫌悪になります しかし 簡単に生き方を変える事は出来ません
  うわべの自分は 自分を正当化する理屈 を作ります
  しかし 隠れた心は そんな自分を嫌いになります
  意識 の中では 自分は正しくて ほんの少し自己嫌悪! だけど
  無意識 では こんな生き方の自分は大嫌い! このような場合に
   意識 と 無意識 は 戦闘状態になる と思います
  無意識は 自分の心に対して攻撃します 身体に対しても攻撃します
  豊かな心 幸せを感じる能力 を 保つ事が出来ずらくなります
  何もしないでいる時 穏やかに 安らぎを 感じる事が出来ずらくなります
  自分と 真っ正面から向き合うと 隠れた心から 辛辣な批判を受ける事になります
  批判をさけるために 心をごまかすために 無意識から逃げるために
  何かをせずには居られない でも せわしさへ逃げても一時しのぎの誤魔化しに過ぎない
  眠っている時は 自分から 逃げる事は 出来ない
  寝付けない時は いらいらする 眠れば うなされる
  起きている時は 心の一部分だけに 囚われていて
  例え 何かの満足が得られても それは心全体の幸せ では無くて
  無意識から批判される 薄っぺらなニセ物
  そして時に 不満や 鬱憤うっぷんが 弱い者へ 向けられます
  理屈を付けて 弱い者を苦しめる場合もあります
  あるいは 他人の足を 引っ張る方向へ 行く場合もあります
  当然 自己嫌悪も 無意識の力も 増強して 心の中の戦闘は ますます激化して行きます
  この様に 悪化の一途をたどる場合がある事も 事実だと思います
 
   そして この様な傾向は 他の例でも 多かれ少なかれ 現れます
  違法すれすれで悪い事をしている人 や 悪い事をした人 の
  心の中は もちろん戦争になっているでしょう
  でも 普通の人においても 懸念されることだ と思います
  社会で 推奨されている 生き方をしていても
  親に 喜ばれる 生き方をしていても
  無意識にとっては こんな生き方は嫌だよ と言われる生き方 かも知れません そして
 
  自分の心の 一部分が喜ぶ生き方 が 自分の心の 全体を喜ばすとは限りません
  だから 普通の人においても 破滅への道をたどる懸念があるのだ と思います
  しかし 通常の ほとんどの場合では 良い方へ揺れたり 悪い方へ揺れたり しながら  
  日々刻々 行きつ 戻りつ 一進一退している のが実情だ と思います
 
   わたしも そうです でも 出来ることなら
  揺れながらも 迷いながらも 少しずつ 良くなって行きたい ものです
 
   そこで
   心を知る 心を理解する 事が 重要になります
  しかしながら 心のすべてを知ることは 出来ない と わたしは思います
   人は 神に 似せて創られた と言います
   すべての人の心には 仏性がある と言います
   でも 神 ほとけ には なれない と思います
  少しでも 深く 少しでも 広く 心を知ろうとする姿勢が 大事なんだ と思います
  わたしなんかに 半分も 理解 出来るのかな と思う事も あります
  はかない命の 愚かな人間にとっては 心を知る旅路に 終わりは無いのでしょう
  たとえ千年生きても まだ修行中です と 思うべき なのでしょう
 
  まず 自分自身に注目した場合
  無意識の中身を 簡単に 知る事は出来ないです
  謙虚に 心を見つめ直して 考えるだけではなくて
  心を知る技術も 修得する必要があると思います
  自分では 認めたくない気持ちを 見つけ出す際には ものすごい『抵抗』がある様です
  他人に指摘されたら 憤慨する場合も多い様です
  自力で発見するためには かなりの精神力が必要だと思います
 
  静かに 何もしないで 心を感じる ひと時も 大切です
  起きてすぐの まどろみの時間では 意識と無意識の 間の壁が弱くなるので
  心全体を感じる 良い機会になる様です
  時間にゆとりが あるならば そのまま もの思いするのが良い と思います
  座禅のように 正攻法で 精神統一するのが 最善かも知れませんが
  わたしの様な未熟者には 寝起きの時間が 一番手軽なのです
  そして 夢も大切です
  夢は 心から送られて来る 大切な手紙です
  眠っている間は 意識と無意識の 間の壁が無くなって
  たくさんの気持ち達が集まって 喧嘩したり 仲良くしたり 相談したり する様です
  夢は 複雑な心情を 上手に表現しているので 詩作にとっても 大変 興味深いです
  示唆に富んでいて 難問を解決する きっかけになる事も ある様です
 
  次に 他者へ注目した場合
  他者の心を理解する事は 心を理解する事であり
  それはすなわち 自分自身の心を理解する事につながる と思います
  他者の心を 少しでも多く理解する事が出来たならば
  自分の心を より多く理解する事になって行く のだ と思います
 
  すべての気持ちが心の中にある
  どんな人の どんな気持ちでも 心の中に 変化した形で あるのだと思います
  凶悪な人の気持ちも 害のない いたずらをしたい気持ちに 変化したり
  するのだと思います
  立派な人の気持ちも 弱くて幼い形で居たり 無意識の側に良心の呵責として 居たり
  するのだと思います
  すべての気持ちが 人それぞれに 様々な形に変化して心の中に あるのだと思います
  個々に目立つ性格も 短所としてマイナス面が出たり 長所として生かされたり
  するのだと思います
  たくさんの気持ちと 仲良くして
  したいけど したくない 好きだけど 嫌い の複雑な気持ちの全体を感じながら
  大きな 一つの心 になった時 人間としての 豊かな力が 発揮されるのだ
  と思います
 
  一部分の気持ちだけに囚われて 無意識を敵に回したのでは 不満になり
  心の力は減退します
  けがれを見つめる者は けがれの内に囚われる と言います
   わたしも 嫌いな人の事を考える時
   そんな事するなよ の批判で 心が埋まってしまう事があります
   気分転換が必要になります 大好きな歌を聞いたり
   大好きな人のことを想ったりして 心をリフレッシュします
 
  人は
  心の 一部分だけに囚われないで 大きく心を見わたせば
  幸せを 感じる事が出来る と わたしは信じています
  心を少しでも 深く広く理解して
  ねじれた気持ちを ほぐして仲良くして 面白くて不思議な無意識さんとも 仲良しになって
  たくさんの気持ち達と手をつないで 一つの心 になる
 
   のが 理想なのだ と わたしは思っています
  しかし 一朝一夕で変われるものでは ありません
  少しずつ良くしようとする 生きる姿勢が 必要なのだと思います
 
  反対意見の気持ち達も 理由によっては それなら協力するよ 辛いけどやりましょう
  と 一つの心 になってくれるから
  心底から向かって行ける 生きがい も大事だと思います
  一つの心 になれば 凄い力が 豊かな力が 溢れ出します
  そう信じます
 
 
   そして
  この わたしの思想のほとんどは エーリッヒ フロム博士から由来しています
  しかし わたしは 不真面目な 一読者にすぎません
  自分に解りやすい言葉に変えて
  さらに誤解を含めて 自分の考えを混ぜ込んで
  青やぎ流に 勝手に 解釈している のが実情です
                               ! もくじ へ