歌は心 3           ! もくじ へ
 
  歌に 心を込める人は
  歌の内容 歌詞の意味によって
  同じ2分の1音符でも 表現が違います
  どの2分の1音符もビブラートの度合いが違います
  ビブラートを使わないで さらりと伸ばした方が良い場合もあって 強弱も様々に
  歌の心のままに 歌の心の おもむくままに
  千変万化に 表現しているのだと思います
  るーーーーーーー
  る−−―――――――
  うう
  伸ばしながら 音色を変える場合もあります
 
  いつも歌っている歌でも その日の 心情によっては
  いつも伸ばしている場所で さらっ と声を切りたくなる時もあると思います
  腹式呼吸のぶっとい声ではなくて 話す ようにやさしく歌いたい時もあると思います
 
  恋歌を
  嫌いだよ という気持ちで歌うことも出来るはずです 恨みを込めることも出来るはずです
  ほんのり好き めちゃくちゃ好き さらりと友情まじりの好き 好きだけど ・・
  人の 心は 複雑です
 
  友人を励ますことを主眼とした歌に
  恋人を励ます気持ちを込めたり 自分自身を励ます気持ちを込めたり
  聴く人みんなを励ます気持ちを込めたり
 
  作詞作曲した本人でさえ 気づかなかった 一面が あとから出現して驚く事も
  あると思います
  歌が別の心情を表現出来たり・・ 歌に別の心情が含まれていたり・・
 
  一つの歌は 一つの表現しか出来ない のではなくて
  歌は生きている のかも知れません
  心を込める人が 歌うと その歌に命が入る のかも知れません
  一つの歌は 百の顔 千の心情を 秘めているのかも知れないです
 
 
 
  さて
  最近思ったことだけど 音程のずらし について
 
  お寺の鐘のね ものがなしく 諸行無常とも語られて うれいの良さを感じます
  お寺の鐘は 少し音程が違う二つの音を 同時に出せる様に造られているらしいです
  わざと うなりを生じさせて あの 何とも言えない複雑な音 になっています
  心底から 揺さぶる音は うなりによって造られている
 
  一方 歌では共鳴が良いとされている 西洋音楽にはその傾向がある様です
 
  しかし 共鳴ではなくて 和音の音程からほんの少しはずして うなりが出るようにして
  つらさ やるせなさ いかり 行き場のない慟哭
  などを うったえて もんもんとした中を くぐり ぬけてから サビへ到ると 
  サビの開放感が 数倍に
  サビの輝きが 数倍に なります
  さらに 共鳴に忠実な進行には無い あやが サビに含まれます と言いたいです 
 
  心を込めて歌う人は その微妙な音の ずれもどし を歌のこころに合わせて
  その時の心情に合わせて いつのまにか やっているのだと思います
  うなりと共鳴を 使いこなしているのだと思います
   (この音程のずらし については追記したい事があるけど それはのちほどにします)
 
  もちろん 前後のずれも そうです
  前後にわざとずらして うまそうに見せかける人もいるけれど そうじゃなくて 自然に
  歌のこころに合わせて 心情に合わせて 前へつっこんだり 後ろへもたれたり
 
  その他 さまざまな変化が こころを込める ただそれだけのことで 
  自然に 否応なしに 出現してしまうのだと思います 
  ただひたすらに こころを込めて 心のままに 歌うだけで
 
  そして もちろん ヘタだからずれる場合もあります
  微細な分析が目的で 歌を聴いているわけではないので
  わたしの たわごとです 結局は
 
 
  言うは易く 行うは難し ただ 一言で すますなら
 
 
    歌は心
 
 
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