詞先 曲先 心優先                        ! もくじ へ
                心優先
  #レット・イット・ビー# と #明日に架ける橋# という歌があります
  原題と作者は
  #Let It Be# 作詞作曲 JOHN LENNON と PAUL McCARTNEY
  #Bridge Over Troubled Water# 作詞作曲 PAUL SIMON
  です  この二曲は1970年 上半期のヒット曲で
  ラジオでは 洋楽部門で半年間 一位と二位を独占していました
 
  それから十年以上が 過ぎて
  わたしに歌らしきものが作れれそうだと 知って
  ある日  わたしは 教科書として 勉強として この二曲に注目しました
  なぜ他でもなく この二曲を選んだのか ・・・ たぶん それは
  わたし個人にとっては 高校時代に受けた印象が あまりにも強かったからなのでしょう
  さて まず
  #Let It Be# すぐに気が付くことは
  Cの後に Gが来る
  「ハ長調では Gの後にCが来る」と どこかの本に書いてあったようだけど 逆だな
  それでもいいのかぁ〜
  そして !!!
  次に 気が付いたことは
  1番と2番と3番で 微妙にメロディーが違う
  1番でミの音が 2番では高い方のド とか  3番の♪tmorrow♪のソの音 とかの違い
  特に2番の ♪they will see♪ では レがラになる などの高さの違いに加えて
  前後のタイミングも違う などなど そして
  #明日に架ける橋# を見る
  1番の♪feelin'small♪ではB♭の音が 付点4分の1音符の長さ あるのに
  2番では その高さの音は 16分の1音符あるだけ
  3番では 多くの音程が 高い方へ移動している だけでなく かなり 違っている
  これらの違いは 微細な事だという意見も あるかも知れない
  ですが わたしは驚きました
  なぜ韻やイントネーションを 揃えなかったのか
  なぜ同じ音符 同じメロディーに はまる言葉を選ばなかったのか ・・
 
   いつだったか 英語の教科書に 載っていた詩の事を 思い返しました
   誰の何という詩か まったく覚えてはいないけれど
   その詩は それぞれの行末 だけでなく 行頭や 途中の 韻やイントネーションが
   あきれる くらいに揃っていた
   中国の漢詩にも 韻を揃えるために 心血をそそいで創られた名作があるけども
   英語のその詩は そこまでやるかよ と思うくらいに 揃っていたので
   あきれてしまった
  その時の 先入観からすれば 歌詞においても
  世界に名だたる作家ならば
  同じイントネーションになる 単語を 文を はめ込むくらいは たやすいはず
  英語において 同じイントネーションの単語は いくらでもあるはず
  なのに なぜか 彼らは それを選ばなかった
  なぜ ・・・ と 考えた込んだ末に 導いた結論は
 
    同じイントネーションの候補は幾千とあるが どれを選んでも
   詞で伝えたい思いや 歌に込めたい気持ちや 自分の思想信条から ずれていた
   他方では 歌の心に忠実な詞があった けれど違うイントネーションだった
   そこで 心の方が大切だから 後者の方に 決めた のだ
 
  というものです そして
 
  その詞を生かすために メロディーを変更しよう
  メロディーに 詞を 合わせて行く のではなくて
  詞を大切にして 歌の心に乗って メロディーを変化させよう という姿勢を感じました
  場合によっては 別のメロディーを作っても良い という覚悟で 詞を大事にして
  作品に取り組んでいる  と思いました
 
  つまり
  『 1番と2番で 字数が同じ 韻もイントネーションも同じ
    だけど 歌の心から少しずれる詞が あったとします
    一方で 字数も何もかも違う
    だけど 歌の心を表すのにぴったりの詞があったとします
  どちらを選ぶか ・・の岐路に 立った時は 後者を選びなさい 』 と教えている気がしました
 
 
  湯川れい子さんが次のような意見を雑誌に載せたことがあります
  「 わたしのように作詞や訳詞を生業なりわいとしている者は 作品を そつ無く きっちり
   仕上げようとする その為にどうしても 行きすぎて 勢いや味を減らしてしまう事がある
   だから 忌野清志郎さんの訳詞に驚いた
   スィンガーソングライターは 字数などに少々の難があっても 見事に歌いこなしてしまう
   それが うらやましい そして とても勉強になった 」
   と このような内容でした
 
  阿木燿子さんが作詞した#美・サイレント# では 文字のない歌詞 発声しない歌詞
  が斬新です
 
  字数などは揃っていた方が 良い と一応わたしも思います
  しかし 心の方が大切です
  心を損ねる ならば 揃えてはいけないのだ と思います さらに進めて
  型破りな方が 良い場合も あるはずです
  奇抜さが すばらしいメロディーを生むこともあるはずです
  例えば 1番で2文字だった場所が 2番では16文字であっても良いはずです
  字数を揃えること以上に 大切なことがあるのです
  字数とか 韻 イントネーションとかよりも 大切なこと
 
  詞だ 曲だ とか言う前に見つめるべき大切なこと
   こころ
  心が歌を生む
  という原点をこそ 見つめるべきでしょう
  強い思いが 満ちあふれる感情が ふくれ上がる気持ちが 訴えたい思想が
  あるからこそ
  歌が 生まれて 来る
  心が詞を生む 心が曲を生む
  そしてその 歌の心が 伝わって 聞く人を 感動させる
 
  浅はかな気持ちで 大衆受けする単語を並べて
  雑念だらけの感情で 音を並べて
  小手先でうまくやれば 良い歌が・・  作れると 考える人も 居るのでしょうけど
  人間は そんなふうに出来ていないと わたしは信じます
  詞の断片をかき集めて メロディーの断片をかき集めて その積み木を小手先で触っても
  煙った心 煩雑な心から 何が生まれるのでしょうか
 
  煙った情況 煩雑な情況にあっても
  何かの救いを見つけて 何かの感動をいだいて
  心が
  強い思いが 満ちあふれる感情が ふくれ上がる気持ちが 訴えたい思想が
  あるからこそ
  あるからこそ
  必要な詞が 必要なメロディーが 必要な積み木が 否応なしに生まれ出て
   歌になっていく
  心 あるからこそ 生まれ
  心 あるからこそ 他の心も 感動するのでしょう
  思い 感情 気持ち 思想 心
  が歌の源泉
  その歌の源泉を損ねたら おしまいです
 
 
  詞よりも曲が大事 の意見があります 時々散見します 作家にもいます
   詞を聞き取れなくても良い歌だと感じる事があるから
   外国の歌が売れるのは曲が良いから
  などの理由です
  しかし わたしは思います
  その良い曲は 詞を大切にする心から 生まれて来たのだと
  作曲を専門になさっている人が 名曲を創った場合でも
  その人は 曲よりも詞が大切だ と思う人なのだ だから 良い曲が創れたのだ
  とまで わたしは 思い込むことにしているのです
 
  中島みゆきさんの歌を 中国語で中国の歌手が 歌っているのを聞いたことがあります
  元の詞を訳詞したのか それとも新たに別の詞を作って付けたのか わたしは存じません
  中国語も全く分かりません でも
  とても良い歌だと思いました 歌手は心を込めて歌っている様でした
  伴奏も元の歌のアレンジを活かしていました
  わたしは その中国語の詞の 善し悪しは分かりません ただ
  歌手の心の込め方から感じるに たぶん 悪い詞ではないのだろう・・ と推察するだけです
  当然 この場合に 良い歌だと感じる原因のほとんどは 曲の良さにあるのだと思います
  しかしです
  この曲が 詞よりも曲が大事 の考え方で作られた とは わたしには思えません
  そして 中島みゆきさんの歌だけに限らず
  多くの名曲たちも同様なのだ と わたしは信じています
  詞をないがしろにして 心を損ねる 考え方で作れるとは 思いたくないのです
 
  純粋に 曲で表される感性を大切にしたい と思っている人の場合でも
  詞よりも曲が大事 の考え方をしてしまうと
  詞を軽んじても良い曲は売れる という邪念を招く恐れがあると思います
  一時的に雑念をはらって 歌に集中すれば 良い歌を作れるかも知れません
  しかし二年 三年 たつうちに 邪念が身に溶け込んで
  うわべの心に対して 芸術の心が 背を向けて
  去って行く そんな気がするのです
 
  だから あえて わたしは 曲よりも詞が大事と言いたいのです
 
  詞も曲も両方大事だ というのが 一番立派な意見かも知れません
  しかし 詞は言葉で出来ています
  人間は言葉を使って 思い考えます
  言葉があるから 思いを巡らし 考え込んだり することが出来ます
  曲のメロディーラインを守るために 言葉を軽んじて良いのでしょうか
  思いや 感情や 気持ちや 思想とは違う詞を使っても良いのでしょうか
  例えば戦争反対の思想の作詞家が
  曲にぴったりの暴力的な歌詞で 妥協して良いはずがないです
  心を損ねたら 創作能力が消滅する
  ついでに私見を重ねて言うと 独裁者を賛美する歌詞では名曲は作れない
  百万枚売れる歌を作りたいという邪念があったら名曲は作れない
  大切なのは 見栄えではない スポンサーや プロデューサーの意向ではない
  心を大切にする思想が 創作能力を育てる
  二者択一の際には心を優先する
  心があるからこそ歌が生まれる
  まして名曲は さらにさらに強く深い 思い 感情 気持ち 思想 がある
  大切なのは 曲にこめる心 詞にこめる心 歌にこめる心
  心が歌の源泉
   曲よりも詞 詞よりも心 心優先
   こそ歌のみなもと
 
  そして実は
  言葉は万能ではない 限界がある 欠点がある
  感性は 言葉の組み合わせでは届かない 遠くに はかなげながらも 強く 微妙に
  在ることも 多いと思います その感性を守る方法は
   おそらく 詞が大切だという思想が 言葉で思い考える心を育てて さらに
   言葉の組み合わせでは表せない 言葉から遠い感性をも 守り育てて
   良い曲が生まれるという道へ つながって行くのだ
  と わたしには思えるのです だから
   曲よりも詞 詞よりも心 心優先
 
 
  良い曲を 作りたいという気持ちを 捨てた境地に活路が あるのかも知れません
  ただ ひたすらに伝えたい心がある 歌になりたい心がある だから歌が
  生まれるのでしょう
 
 
  そして これだけ 力説したあとで なんですけども
  遊びの心 いたずらな心 も大切だと思います 理論に走り過ぎても いけないのでしょう
  権力を敵に回してでも一字一句にこだわったり たわいのない気持ちで遊んだり
  大らかに飛び跳ねたり かたくなに死守したり 心とは不思議なものです
 
 
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